strawberry is a dream

昔のマンガを読んでみた 萩尾望都編その1

 

『ルルとミミ』   

萩尾望都作品目録 - Moto Hagio Works Libraryによれば、萩尾望都さんの雑誌初掲載のマンガのようです。

「なかよし」1969年夏休み増刊号に載った、20ページのマンガです。

 

絵柄は、目が大きな少女漫画風の少女が描かれているものの、まだ萩尾望都独特の雰囲気はほとんんど感じられません。

誰のマンガともいえるような、昔はみんなこんな感じだったというような絵柄です。

 

ストーリーは、双子の姉妹がケーキを作ってコンテストに出品することから始まる、ドタバタ劇。

日常生活なのだけれども、ありえないような事件が起こり、おかしな具合に解決していく、コメディのような内容です。

男子キャラで目につくのは、双子の隣の子が一瞬登場するだけ。

 

コマ割りは、どのページもほぼ3段で、縦2列かその変形。

ときに2段にわたる大きなコマがある程度。

なかには、隣のコマから人物や物がつき抜けて枠線が歪んだり破れたりしているところもあり、手塚治虫のマンガを思い出させます。

 

 

これから何作か萩尾望都さんの作品を読んでいこうと思いますが、どのあたりから、見ればすぐにわかる作品になっていくのか、楽しみです。

 

 

『ルルとミミ』は、ルルとミミ (コミック文庫(女性)) [ 萩尾望都 ] に収録されています。

 

 

『私の少女マンガ講義』萩尾望都にかんするmemo


萩尾望都といえば、『ポーの一族』。

 

私が『ポーの一族』をはじめて読んだのは、短大生のころだったかしらん。

 

はじめて読んだときには、萩尾望都さんのマンガは、私にはそれほどしっくりくるものではなかったように覚えています。

あまりにおとなびているような、絵柄も都会的すぎるような。

 

のちになって『ポーの一族』を読んだときにはじめて、その物語のおもしろさ、歴史を自在に行ったり来たりすることの興味深さ、など、その魅力に気がついたのです。

 

いままた読み返したいという思いが、ふつふつとわいてきてしまいます。

 

 

けれども、そんな萩尾望都さんのマンガも、ここしばらくは、遠ざかっていました。

 

マンガも、それほど毎日読むというふうではなくなり、購入するにも収納場所を考えてしまうので、一時ほど勢いよく読むというふうではなくなりました。

電子書籍でという手もあるのでしょうが、いまのところは手にとって紙のページをめくりたい。

図書館で借りることもありますが、品揃えが貧弱で、読みたいものはあまり手にすることができません。

 

第一、萩尾望都さんが、まだこれほどマンガを世に送り出しているということを、知らずにいました。

 

 

 

私の少女マンガ講義 [ 萩尾 望都 ]という本を、たまたま地元の本屋さんでみつけて即買いしました。

 

そして、久しぶりに萩尾望都さんに想いを馳せ、最近の活動について知ったというわけなのです。

 

萩尾望都 年譜:萩尾望都作品目録を覗いてみると、1992年から『プチフラワー』に連載され始めた『残酷な神が支配する』は読んだ覚えがありますが、それ以降の作品は、知らないものがほとんど。

 

これほどしらないまま過ごしていたなんて残念。

でも、もちろん、今からでも追いかけて読むことはできますね。

 

すごいと思わざるをえない、尊敬すべき先輩であることもたしかです。

2019年、令和元年、70歳。

デビュー50周年。

 

秘密の花園』「flowers」連載。

Apple Store に、『ガリレオの宇宙』掲載。

そして現在、『青のパンドラ』を「flowers」連載中。

と、70歳以降も、その筆は衰えを知らないようです。

 

秘密の花園』も、『青のパンドラ』も、「ポーの一族」のシリーズなんですね。

とても、嬉しくて、懐かしくて。

 

萩尾望都さんん¥ご本人も、40年ぶりのエドガーやアランについて

「不思議なんですけど、自分の中に部屋があって、そのドアを開けたら、エドガーやアランがいた。私がドアを開けなかっただけで、ずっと彼らはそこで生きていた、というような。」

 

「私が見ていなくても『勝手にやってたから』みたいな感じ。逆に『こっちは変わらないけど、あんたは婆さんになったね』と言われるようなあ(笑)。

「私の少女マンガ講義」(自作を語る)p,269

 

 

こちらも婆さんになったけれども、本を開くだけで、エドガーや他の人々にあうことができる、幸せ。

 

ありがとう。。

 

 

体調不良、義母に何が?

義母が、体調が悪いようなんですね。

 

何が悪いのかわからないけれど、とにかく調子が悪いらしい・・・。

 

前の日に、デイサービスからの帰りがけに、嘔吐してしまったというような報告があったのです。

デイサービス送迎の職員さんが、ちょっとムッとしたように、朝から調子が悪かったって言ってました!と言い残して帰って行きました。

 

昨日?

朝何か変わった様子があったかしらんと思い返してみるものの、思い当たることがありません。朝食も、普通に食べていたように思いますし。

 

帰ってきた義母は、食べたもの全部もどしちゃったとつぶやくように言って、シオシオとした様子でベッドにくずおれるように横になってしまったのでした。

 

夕食にも出てきませんでした。

何か食べる?と聞いても、手を振って顔を背けるだけ。

胸のあたりをさすって、気持ちが悪いと言います。

せめて水分をと持って行っても、いらないというばかり。

 

 

まあ、気分が悪いということは、今までにも確かにあったのです。

次の日になると、割とケロっとして、食事も食べたりデイサービスに行ったりしていたので、今回もそんなふうかと思っていました。

 

次の日の朝になって。

いつものように部屋から出てきて食卓につきます。

コレは朝食を食べるのだろうと思い、いつもの朝のように用意しました。

 

用意が整って、私と夫も食べ始めるものの、義母は手を付けません。

そのまま朝食の時間が過ぎていくので、食べないの?と聞くと、いらないといいます。

 

ずっとそこに座っていたのだから、自分の食事が用意され始めた時点で、今朝は食べないなり何なり言えば良いのになあと思いつつ、とにかく少しでも食べるように勧めてみますが、やはり食欲はないようでした。

どこか具合が悪いのか聞けば、頭が痛いと、頭を抱えるようにしています。

でも、デイサービスには行くつもりらしく、用意をしようとしはじめるんですね。

さすがに、二食食べず、なにか具合が悪いらしいのにデイサービスに行かせること

も憚られ、欠席するように話してベッドに休ませました。

 

 

その後もずっと、ベッドから出て来ず、水分不足を心配して飲むよう勧めても、ほんのちょっと口をつけて、終わりにしてしまいます。

 

 

翌日は休日。

何かあっても、よほど緊急でなければ受診もできません。

 

昼食もまったく食べようとしないので、主治医のいる病院に電話をかけ、受診することにした。

 

 

 

何かそれらしい原因があるか検査をし、点滴を受けて帰って来ました。

 

 

けっきょく原因は、わからないままでした。

まあそうかもしれないとは、思っていたのです。

 

老人のことだから、何が起こるかわからないと周りはいろいろと心配するのですが、なにというほどの事もなく、普段の状態にもどっていくのです。。

 

 

私たちでも、なにか具合が悪いこということはあります。

頭痛になりやすい人は、直接原因がわからなくても、頭が痛くなったりするものです。

それでも、一日寝ていれば翌日にはなんとかなる、とか、自分に合うであろう薬を飲むとか、水分はとった方が良いとか、熱はないのか確認するとか、自分なりの判断がある程度できるのではないでしょうか。

 

 

しかし、義母にはそういったことができないのでしょう。

熱も、体温計を渡して測ってもらうことになります。

どんなふうに体調が悪いのか、訴えないので、こちらも本当のところがよくわからないのです。

 

 

病院へ行ってみたけれども、行ってみただけだった、ということも、ときにはあります。

 

 

こんなふうに、ああでもない、こうでもないと頭を悩ませ、時間と手間を使って病院へ付き添う。

 

そんなことが、高齢者の介護の大変さのひとつでもあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

認知症の義母に薬の影響か?

最近のわがやの最大の関心事は、義母の変化です。

 

どのような変化かといえば、良いほうへの変化としか、言いようがないのです。

 

義母は、93歳。

レビー小体認知症であり、パーキンソン病も患っています。

 

この夏、義母は、認知症が進み、身体も衰え、いよいよ自分のこともわからなくなるのかという心配もあるほど、衰えているようにみえました。

それは、夏の初め頃からのことで、急に症状がすすんだのですが、9月半ばの今ではすっかり、夏以前の義母の様子にもどっています。

というか、日に日に戻りつつあるのです。

 

 

とにかくボーっとしていて、うつらうつら眠るし、身体の動きも散漫で、力も入らない。

それまで出来ていた事も、どんどん出来なくなっていく感じだったのですね。

 

歩行器に縋れば、自分でまがりなりにも歩いて家の中くらいは移動できていたのが、立ち上がる事もやっと。

ヨーイショ、ヨイショ、っと、掛け声ばかり張り上げるけれど、なかなか立ち上がることができません。

歩行器につかまって歩き始めるも、ちょっと曲がり角にでもかかると、オッカナイ、オッカナイと悲鳴をあげます。

後ろに車椅子を持って行って座れるようにしてやっても、闇雲に座ろうとして、なんだか滑り落ちるようなかっこうになり、全身を支えてやってようやく車椅子にお尻を下ろしてやることができるというふうです。

 

食事も、どんどん食べて、配膳しただけはほぼ食べてしまうというふうだったのが、いつのまにか食欲がなく、食べる量が少なすぎることを心配するようになりました。

 

デイサービスは、日々楽しみにしていて通っていたのですが、事業所の担当者の方々からも、いろいろと心配な様子を報告していただきました。

ケアマネさんも心配してくださり、担当者会議を開いて、今後の支援について話し合ったくらいでした。

 

とにかく自分から動くことがなくなって、ちゃんと生きて生活することをしなくなりつつあるといってもよいような状態でした。

 

なぜ急にそんなふうになってしまったのでしょう?

 

年齢といえば年齢だし。

今年の夏はことに暑さが酷く、こたえたのかもしれません。

 

おむつパッドと紙パンツを容量の大きいものに変えたり、トイレに行ったり食卓に着くときにはすべて介助したり、ゼリー状の介護食を用意したり、できる範囲で対応することを考えました。が、このまま自宅で介護は難しくなるのでは?と、密かに思いました。

 

 

ちょうどタイミングよく、主治医の受診の予約が入っていたので、様子を報告したところ、年齢からくる筋力の低下で動きが悪くなったりしたのかもしれないね、といったようなお話し。

ほかに特別に悪い病気やなにかがあるわけではないとのこと。

 

歩行器があれば動けるとはいうものの、車椅子主体の生活になってもう5年経つし、レビー小体認知症と言われて、要介護3になってからも同じくらい経っています。

しょうがないのだろうと思っていました。

 

と、受診の日の夕方、主治医から電話がありました。

いつも受診の前に、血液検査など必要な検査を受けるのですが、受診の時には間に合わなかったデータに、血液中のカルシウムの量というのがあったらしいのです。それが多過ぎる、とのこと。

 

とりあえず、同じ病院の外科から出ているカルシウム強化のための薬を、飲むのをやめてみましょう。

同じく、便通の為の酸化マグネシウムも多いようなので、2回を1回に。

寝つきが悪いことを本人がしきりに訴えるので飲んでいたロゼレムも、無し。

と、薬の減量を言い渡されました。

 

そんなふうにして一週間もたたないうちに、食欲が戻りはじめ、つかまって立ち上がったり座ったりも、安定してできるようになりました。

歩行器や車椅子の使い方も、元のように自分なりに上手く使えるようになっています。

 

洗面所まで、ほぼ危なげなく、歩行器で行ったり来たりできるようになりました。

 

毎日、アレ⁉︎ひとりで上手くやってる?ということが増えて、ほぼ以前の義母に戻ってきたのです。

 

送迎で来てくださる事業所の方とも、大丈夫になったみたい。イッタイ何だったのかしらと話すこと、しきり。

 

本人は、まったく自覚がないようで、あたりまえのように以前の生活に戻っています。

 

 

まったく、何だったのだろうと思います。

 

噛みあわなくて、どんどん低下していた脳の働きが、復活したかのように思えます。

そんなことがあるのか知らん?

 

カルシウムが邪魔をしたのでしょうか。他にもいろいろ飲んでいる薬との飲みあわせとか、とにかく飲んでいる薬の種類が多いことの弊害なのでしょうか。

 

それにしても、この薬の組み合わせでもうしばらく飲んでいたのに、今年の夏になってから影響が出るということがあるのでしょうか?

 

たぶん、カルシウムの過多やらの影響はあったのでしょう。

減らしてすぐに、効果があったのですから。

 

 

 

じつは以前にも、薬の影響で、見えない物が見えたり、変な思い込みで妄想に陥るという事があり、家族は大変な思いをしました。

そのときは、痛み止めの種類を減らしたり変更することで、改善されたのです。

 

 

もう何年も、あたりまえのように、朝昼晩と薬を飲んでいます。

認知症や足腰の痛みや高血圧や便通の改善や老人にありがちな体調の変化への対応に、薬は必どんどん種類が増えていました。

 

けれど、もしかすると、どうしても飲まなくても良い薬もあったのかもしれないのです。

本人が、アレが辛い、コレがうまくいかない、痛い、と医者とみれば訴えるので、なにかしら処方するしかなかったのでしょう。

原因から改善するということは、もう難しいので。

 

 

 

けれど、薬を飲んだり飲まなかったりで、こんなふうに大きな変化があるというのは、怖いことです。

老人は、つい薬を多く飲まされているということが、ありがちなのかもしれないとも思います。

 

気がつかずに、あのまま薬を飲み続けていたら、どうなっていたのでしょうか。

 

 

 

 

義母のつねひごろの様子や、薬の飲み方などについては、またおいおい書いていこうと思います。